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環境/空間
たとえば作品を乗せる展示台、たとえば絵画を収めるフレーム。作品そのものではなく、作品として成立させる為のモノの呼び名である「パレルゴン」は、作品と直接的な関係こそない半面、今日までその作品自体と非常に密接な距離を保ってきました。 学生時代モノを表現する立場にいた私は、ギャラリーで勤めるようになり、表現されたモノを扱う経験をするようになりました。様々な表現者がここでそれぞれの作品を設置する様を見続け、ふと疑問に思った事がありました。 それはきっと、私たちがここで務めるようになるずっと前から心のどこかで引っかかっていた気持ちだったのかもしれないし、気づいていたのに無視していた事なのかもしれません。 「作品を、作品として成立させる行為」。パレルゴンとはあくまでも「物」でしかありませんが、私たち表現者は、ときに制作したモノをそこに収めるという一連の「行為」でそれらを作品として成立させ、完結を迎えさせます。となると私たちが普段観ていた目の前のモノは、一体何だったのか、なぜそれらを作品として観ることが出来たのか。展示台やフレームというフィルターにはどの様な力が加わって、またどの様な意味があったのか。私たちはその問いかけを作品にしました。 展示台をテーマにした瀬尾美夜による作品「無台」では、450×450×1200ミリの展示台を想定した宙吊りのフィギュアを11体会場内に配置し、普段我々が無意識のうちに頭に刷り込まれていた展示台の「意識的結界」や概念を取り払いました。一方羽田による「とある感覚を刺激する装置1」ではフレームに入った一つの絵画による画像をプロジェクターで投影し、プロジェクターから壁までの中間地点に中空の木枠で「フレーム」と「画」に分裂させ、来場者にその画像のピントを合わせる作業をしてもらいました。 両者の作品モチーフはそれぞれ展示台、フレームという分け方をし、なおかつアプローチもまったく違いましたが、「作品を丸裸にする」という点では全く同じ問いかけでした。 作品を丸裸にするという行為は、同時に芸術への固定概念を取り払うという意味も含みます。台に置かれた、フレームに入れられた、それだけで私たちは普段それらを芸術物として見るようにインプットされてきました。
CREDIT
出品作家:羽田純 / 瀬尾美夜
素 材:プロジェクターでパネルに投影 / フィギュアを天吊り
March 08, 2019 13:49:13