Client : DJ KRUSH
Date : 1999
Url : http://www.sus81.jp/djkrush/
ポスター, CI/VI/シンボル/ロゴ/タイプフェイス, パッケージ
映画「ワイルド・スタイル」に偶然出会いヒップホップを始める[1]。当時のヒップホップ創世記には、ディスコミキサーというべき機材はなく、現在の物とはかけ離れた位の大きさのミキサーに自作で取り付けたスイッチやLRのフェーダーを割り箸で繋げてDJをしていた。 1980年代後期からは原宿のホコ天にてCRAZY-A、B-FRESH、DJ KRUSHの実弟DJ BANG等とストリートで活動してきた。そこでMUROやDJ GOと知り合い、やがてKRUSH POSSEを結成し[1]数多くのコンテストやライブに参加することになる。日本で初めてターンテーブルを楽器として操るDJとして注目を浴びる[2]。 90年に差し掛かってきた頃から本人の音楽性に変化が生じる。もっと自分らしくDJ一人でも表現出来るヒップホップを模索する。KRUSH POSSE解散をきっかけにその意欲はさらに強まり、莫大な数のトラックを作りやがてそれがイギリスを拠点とする独創的レーベル・モ・ワックス(英語: Mo' Wax)のジェームス・ラベルの耳に止まる。同時期にアメリカは西海岸にてDJ SHADOWも同じようなムーブメントを起こしており、それらはトリップ・ホップとも呼ばれていた。 1994年の1stアルバム『KRUSH』のリリースを皮切りに、これまでに8枚のソロアルバム、4枚のリミックスルバム、3枚のミックスアルバムをワールドワイドでリリース。いずれも国内外の様々なチャートの上位にランクインする。6thアルバム『漸-ZEN-』(‘00)では、“インディーズのグラミー賞” といわれる米国AFIMアワードにおいて"ベスト・エレクトロニカ・アルバム 2001" 最優秀賞を獲得。8thアルバム『寂』(‘04):CMJ(全米カレッジラジオ)RPMチャートにてDJ作品としては異例の3週連続1位を獲得。 その他、ハービー・ハンコック、k.d.ラング、ロニー・ジョーダン、など数々のグラミーアーティストからリミックスを依頼され、高い評価を受ける。マイルス・デイビス、Black Thought、ガリアーノ、ピート・ロック、コールドカット 等々、数多くの世界的著名アーティストの作品に参加、リミックス及びトラック提供を行っている。 また、公演においては、英国最大の音楽フェスティバル、グラストンベリー(UK)をはじめ、コーチュラ(米)、モントルー・ジャズ・フェスティバル(スイス)、ソナー(スペイン)ロスキルデ(デンマーク)など、世界各国で200以上の様々なフェスティバルに出演。クラブツアーにおいては、現在までに全52カ国/350都市にて、延べ800万人以上のオーディエンスを魅了。現在も年間、約30カ所以上のワールドツアーを敢行している。
CREDIT
November 02, 2017 07:02:11